工房長です。前回(その4)で、黒い革の選定を熱く語り過ぎた感がありますが(笑)、そのリオダブルバットで作った一次試作品の評価と、二次試作に向けての改善を今回も深くご説明します。

maniacs革2-38さて、じつは革茶屋の荻原さんはAudiユーザーでもあり、もともとそのご縁でお知り合いになったという経緯があります。maniacsと革茶屋さんとの素晴らしい出会いへの感謝の気持ちもあって、最初の製品はAudiキー用の2種類から発売する予定で進めています。従って、一次試作もAudi用の2種類で実施しました。

写真のワインカラーのブッテーロは今回試しに製作してみましたが、製品のラインナップは、ブルーとキャメルの2色の予定、ワインカラーはレギュラー販売の予定がありません。もしこの写真でどうしてもワインカラーが気に入ってしまったという方は(笑)、発売以降に別途maniacsまでお問い合わせください。

一次試作品の全体感は、狙い通りでとても好印象です。これは売り口上ではなく素直に良い感じです。見た目に魅力的なだけでなく、手に馴染んで、心に沁みるような革の味わいがあって、工房長も本心から自分で使いたいと感じるキーカバーです。とくに秀逸なのが立体にしぼった下方の形状で、あたかもドレスシューズの「チゼルトゥ」のような端正なニュアンスがあるのです。

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このまま発売しても良いくらいですが、そこはmaniacsの製品開発ですので、妥協せずに細部を詰めていきます。まず、A4(8W) A5(F5) TT(8S) Q7(4M)等のキーに適合するこちらのタイプ、ロゴの位置とサイズを調整し、裏面に4Ringsが見える窓を設けます。しぼりの立体形状に僅かに雑味(微妙な歪み等の手作り感)がありますが、それは製品化までにレベルアップしてくださるとのことです。

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つぎに、今回の開発のスタートになった A1 A3/S3/RS3(8P/8V) A4/S4/RS4(8E) TT/TTS/TTRS(8J) Q2(GA) Q3(8U) Q7(4L)等のキーに適合する、こちらのタイプです。 この一次試作でリオダブルバットのしぼり加工品を初めて見たのですが、じつに優美です。

こちらも「もう本当にこれでOK」と思える、とても良い感じなのですが、さらに細部を詰めます。裏面の使い勝手に影響する刻印の微調整と、下部の革のループ付近の張り出しを減らして見栄えを整えてもらうことにしました。

maniacs革2-20-2っとサラッと言うと簡単そうですが、実はこれは鬼のようなとてつもなく厳しい要望なのです。拘りと意地っ張りのぶつかり合いのような経緯を(笑)、少し詳しくご説明します。

キーの下部にキーリングを装着する部分、もとになった革茶屋さんのオリジナルはキー自体のボトムの金具にキーリングを装着する一般的な構造になっていました。maniacsではキーとキーリングが擦れない構造にしたかったので、開発着手の段階から革茶屋さんと一緒にその実現方法を検討してきました。

maniacs革2-20最初に出た案は、左写真のような別部材の革のループを付属する構造でした。これなら、それぞれの部材を別々に作れるので、高い精度を要求される個所がなく、物づくりが比較的やり易いのです。これはこれで豪華な感じもします。

しかしmaniacsの(もっと言うと工房長の)拘りで「シンプルな一体構造の革ループにしたい」という案をご相談したところ、当初「それは無理かもしれない」という革茶屋さんの見解でした。なぜ無理なのか???

maniacs革2-23「無理かもしれない」理由は3つありました。ひとつは一枚の革でループを作って、折り返した革がそのまま裏面の蓋になり、一枚革の自分同士を縫いつけて形状を完成させるには、もの凄く精度の高い物づくりが要求されます。

まず製品になる革の周囲に余白をつけた細長い長方形の一枚革を材料から切り出し、片側をしぼって立体にしてから、周りを瓢箪の形状にカットして、その真ん中のくびれ部分を折り返してループにして、縫いつけるのです。しぼり加工で立体にする際には革全体の寸法関係が伸び縮みし、それも含めて以降の工程が全て目論見どおりに進むことによってのみ、最後に全体の辻褄が合うのです。

革をしぼってから縫製に至る間には、多くの細かな工程があります。三次曲面の立体になった革への刻印、窓開け、金具装着の加工は、平面の革とは比べものにならない高難度です。そこからループ部で折り返した裏蓋を縫いつけるのは、本当に熟練の技術が必要になります。とくにこのキーカバーはしぼりが深くて左右非対称形状のため、スペシャル最高難度と言われるのも良くわかります。

maniacs革2-45-2理由の二つ目は、貴重な革の材料効率が良くないのです。このキーカバーのために最初に切り出す革は、長方形の長手寸法が30cm以上もあります。しぼりのための余白をつけてあるので、あとの工程で多くの端切れが出ます。また30cmの長さがレイアウトできなくなった時点で残った革材料は使いようがなくなります。

このため、革茶屋さんオリジナルのように本体表革、裏蓋、止め帯の各部材に分けて材料取りするのに比較すると、同じ革材料から作れる製品個数は半分以下です。つまり1個あたりに必要な革材料が実質2倍以上ということになります。とくにリオダブルバットはいまのところmaniacs向け専用なので、他製品向けのパーツと組み合わせて効率化することもできません。

そして理由の最後は、製造のいずれかの工程で一か所でも不良が生じると、キーカバー1個分の材料全体が無駄になることです。例えばしぼり加工の寸法がズレると裏蓋の革まで無駄になりますし、または裏蓋の刻印で失敗したら一昼夜かけて綺麗に成形し終わったしぼりの本体もまるごと無駄になります。たったひとつのミスで、そこまで費やした手間も含めた全てがパー、全工程を通してミスなくやりきるには、熟練のスタッフさんにとっても特別の集中力を要します。

深しぼり加工というだけでもやりたがらない革工房が多い中で、ここまで高度な技術を要するとなると、さすがの革茶屋さんでもおいそれと引き受けられるものではありません。

maniacs革2-21そのため工房長が描いた希望仕様(その2に掲載)は、しぼりの本体と裏蓋を別の部材として、ループの付け根で縫い合わせる構造にしていました。つまり、一枚革で作ることを残念ながら諦めたかたちです。別部材を繋ぎ合わせるこの方法が、革茶屋さんとの打ち合わせた結果の、ギリギリの実現可能案だったのです。

0次試作で革茶屋さんは「あくまでも試し」ということで、一枚革からの縫製にチャレンジしてくだったのですが、その時点でも「製品時に実現可能とは言い切れません」とのことでした。それが、今回の一次試作もつなぎ目のない一枚革からの縫製で作ってくださっていました。

maniacs革2-22つなぎ目のないシンプルな構造は本当に美しく、魅力的です。工房長はそのチャレンジに感動し、革茶屋さんにそのことを言いますと、じつは荻原さんが困難を押しても一枚革に拘った理由は、少し別のところにあったのです。

それは「万一縫製の糸が切れてほつれた場合にも、革のループが開いてキーリングが外れる心配がない」ということです。たしかに本体と裏蓋を別の革で繋ぎ合わる作りでは、この個所の縫製が解けたら革のループが開いてしまいます。一枚革なら万一縫製が解けてもループは開かずキーリングは脱落しません。

縫製は手針で一目ずつ両面から縫い込む「平縫い」で、糸が切れても連続してほつれない、丈夫な縫い方です。工房長は「これが切れて解ける心配はないでしょう」と申しましたが、革茶屋さんの革製品への拘りはそんな生易しいものではありませんでした。「キーの金属製ボトムに代わる革ループなのだから、実際のリスクの有無ではなく、設計思想として万全でありたい」というということなのです。

maniacs革2-12そしてそれを実現するための最後の製造マージンが、この部分のコバの張り出しになっていると推測できましたが、形の美しさのためにその最後のマージンを削ってほしいと要望したのです。

この個所はキーカバー完成状態の下端ですが、製造工程を遡ると一枚革の長さの真ん中部分です。ここを変更するには、革茶屋さんは試行錯誤の末にやっと寸法確定した抜き型を、全体的に作り直すことになります。如何に鬼のような要望であるかと思います。しかし革茶屋さんはそれを「やります」と言ってくださいました。

maniacs革2-19-4シンプルさへの拘りを、もう少しだけ説明させてください。このキーカバーは、革が1枚、ギボシが1個、糸が1本しか使われていません。ギボシの裏面に小さい薄革を貼って保護していますが、それを除けば全部でたった3つのパーツでできています。

「ギボシ」は革ベルトを止めるコンベンショナルな金具で、無垢材の転造で作られています。この金属パーツの「小さいけど本物」の雰囲気を、工房長は一目で気に入ってしまいました(写真をクリックして拡大してみてください)。それで、ホックやリベット等のプレス部品を一切使わずに、ギボシ1個に集約しました。金属パーツを減らすことで革の良さが引き立ちますし、金属パーツ自身もアクセントとして生きてきます。

maniacs革2-19-3糸が1本というのは、パッと見では分かりにくいかもしれません。ギボシの両脇の縫製が、左は1目だけ二重、右は3目が二重に縫われていて、たまたま1と3になっているようにも見えますが、そうではないのです。

左写真の説明のように、最初の縫い穴に糸の長さの真ん中を位置させ、その糸の両端に針を付けて縫い始めます。最初の1目は革の端を回して二重に補強してから、キーカバーの周囲をぐるっと一周「平縫い」で縫い進めて、最後は革の端を回して3目縫い戻して補強し、糸を仕舞って完成します。必然によってこうなっているのです。

きちんと始まってきちんと終わる、途中に繋ぎ目のない一筆書きのステッチ。手仕事の味わいが心地良く、飽きずにずっと眺めていられます。

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そして半月ほど経ったある日、要望を反映した二次試作(最終試作)が上がってきました。一次試作でも十分良い感じだったものが、本当に文句なしに素晴らしい印象に昇華していました。ループ部分にはちょうど良いサイズのリングが最初から付属しています。ステッチの色は、製品ではレッドとシルバーの2色をラインナップする予定で、こちらはそのシルバーでの試作です。

革1枚、ギボシ1個、糸1本で作られた、シンプルを極めたキーカバー。イタリア革のテイストと、日本の物づくりの拘りが、ひとつの試作品にギュッと凝縮されています。設計はスマートキーを前提に使い勝手と美しさを妥協なく追求。革は伝統のバルケッタ製法に現代的感覚を加えた本物のエレガンス。シンプルさのために惜しみなく投入された高度な物づくりの技術。

設計、素材、作り、全ての研ぎ澄まされた感覚が三位一体となり、製品そのものから自ずと伝わってくるような、統一感のある仕上がりになっています。

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この最終試作では、予想外に感動したことが2つありました。ひとつは、キーカバー単体で手にしただけでも素晴らしい出来映えですが、中にキーを入れるとまるで命を吹き込まれたようにカバーが生き生きとした表情に見えるのです。キー全体を覆って中身がほとんど見えないのだから、空っぽでもキーが入っても大差ないだろうという無意識の予想とは全く違って、驚くほどです。

そして、一次試作から最終試作までの大苦労の末の微妙な進化は、実際にキーを入れてみると歴然と、段違いの素晴らしさになって現れました。下の写真から伝わりますでしょうか。まるでビスポークのスーツのような格好よさです。
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もうひとつは、革茶屋さんに鬼の要望をしたにもかかわらず、物づくりのスタッフの皆さんからこのキーカバーを「とても好印象」「素敵な商品」と仰っていただいたことです。荻原さんが、そう知らせてくださいました。

これだけ高度な技術を要求し、物づくりに途切れない集中力と緊張の連続を強いる製品を、その道のプロフェッショナルの、しかも正にその苦労をしてくださっている皆さんから評価していただけたのは、本当に嬉しい出来事でした。

キーは愛車に息を吹き込む心髄であるとともに、オーナーシップの象徴でもあります。キーシリンダーに挿し込んで捻っていた時代に比べ、スマートキーは所持しているだけで良いものになり、「キー」という概念的な存在になりました。

そんな大切な愛車のキーに被せるカバーとして、相応しい開発ができたと自負しています。もう1種類の方も最終試作を完了していますので、これで確定。Audi用2種類の発売に向けて、化粧箱の準備、商品の初回ロット分の製造を進めています。7月初旬に発売の予定ですので、もう少々お待ちください。
(その6)に続く